パーソナルオーダー製品部を新設。
インドネシアにてパーソナルオーダースーツ専用縫製ラインを新設。
ユニフォーム製品部を新設。
韓国ロッテ百貨店(チャムシル店)にスーツ専門店「Takaoka&Co.」を出店。
現在、3店舗にて展開。
ドレスカジュアル製品部を新設。
パーソナルオーダースーツ データエントリールームを新設。
インドネシアにて2工場目となるスーツ縫製ラインを新設。
メンズアパレル製品部を新設。
インドネシアにてスーツ縫製ラインを新設。
関物流センターを開設。
レディスアパレル製品部を開設。
製品部新設。
エーワン縫製(株)設立
婦人服地部門新設。
E-ZEGNA取引開始。
名古屋支店開設。
東京支店新開設。
株式会社鷹岡商店、資本金200万円で設立。
兵庫県武庫川に毛織物整理工場(のちの関西整織所)設立。
二代目・覚之助、輸入毛織物の卸商とともに国産羅紗開発に尽力。
初代・鷹岡覚之助、鷹岡商店創業。
明治30年代、鷹岡商店は人材に恵まれ、業績は順調に伸びていった。
それとともに店構えも大きくなっていき、自前の店舗を持つに至る。
基盤の固まった鷹岡商店は、不況を無事に乗り切っていくのだった。
初代・覚之助は、自分自身がいちから丁稚奉公の修行を経験したこともあり、人を見る目が養われていたばかりではなく、主従の間柄は信頼で成り立つものと考えていた。
それ故、信頼された人材は、よく主人の期待に応え、商店を盛り立てていった。
鷹岡商店は発展にともない、最初の高麗橋から心斎橋筋平野町北入東側、次いで平野町心斎橋筋東入北側へと移転を重ね、構えも大きくなっていった。
ところが、ここで思わぬ事態が発生する。
当時の店舗は借家だったが、ある日家主の一方的都合で立ち退きを要求されることになったのだ。
商売の忙しさに追われ、明け渡しは延び延びになっていた。業をにやした家主は強行手段に訴え、台所の屋根瓦をはがしてしまう。
折り悪しく雨が降り始め、ちょうど食事をしていた者たちは、泥を食べさせられそうな目にあったという。
この一件で、安心して商売をするためには、土地、家屋を購入しなくてはならないと決心した覚之助は、さっそく適当な場所を探し始めた。
明治35年(1902年)、心斎橋筋淡路町北入東側の手頃な売家を購入、改築して移転することとなり、ようやくここに鷹岡商店の営業基盤が確立されたのだ。
© TAKAOKA&Co.