鷹岡株式会社

HISTORY

鷹岡の歴史

初代・覚之助直筆による宣伝ポスター

羅紗の語源:日本に西洋の毛織物が持ち込まれたころ、日本人は、ポルトガル人が口にする“raxa / ラシャ”または“raixa / ライシャ”という名称を耳にして、それを「ラシャ」と聞き取り、「羅紗」の字を宛て、以後、広くこの言葉を使用するようになった。(「羊毛の語る日本史」より)

1885年 創業
鷹岡株式会社 歴史の一幕

店舗確立への道のり

明治30年代、鷹岡商店は人材に恵まれ、業績は順調に伸びていった。
それとともに店構えも大きくなっていき、自前の店舗を持つに至る。
基盤の固まった鷹岡商店は、不況を無事に乗り切っていくのだった。

初代・覚之助は、自分自身がいちから丁稚奉公の修行を経験したこともあり、人を見る目が養われていたばかりではなく、主従の間柄は信頼で成り立つものと考えていた。
それ故、信頼された人材は、よく主人の期待に応え、商店を盛り立てていった。
鷹岡商店は発展にともない、最初の高麗橋から心斎橋筋平野町北入東側、次いで平野町心斎橋筋東入北側へと移転を重ね、構えも大きくなっていった。

ところが、ここで思わぬ事態が発生する。
当時の店舗は借家だったが、ある日家主の一方的都合で立ち退きを要求されることになったのだ。
商売の忙しさに追われ、明け渡しは延び延びになっていた。業をにやした家主は強行手段に訴え、台所の屋根瓦をはがしてしまう。
折り悪しく雨が降り始め、ちょうど食事をしていた者たちは、泥を食べさせられそうな目にあったという。
この一件で、安心して商売をするためには、土地、家屋を購入しなくてはならないと決心した覚之助は、さっそく適当な場所を探し始めた。
明治35年(1902年)、心斎橋筋淡路町北入東側の手頃な売家を購入、改築して移転することとなり、ようやくここに鷹岡商店の営業基盤が確立されたのだ。

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